なんとか役に立ちたいと、当社が以前譲って頂いた、水タンク(酒樽)及びお風呂のなどを持って、福井県大野市から宮城県大崎市へ出発しました。
大崎市は津波の影響は住宅にはありませんが、電気、水道、ガス等のライフラインは2カ月ぐらい復旧できない状況で、水が特に足りていないそうです。 報道等では、支援物資の仕分けができなく、支援物資の受け入れを1次休止しているようですが、現実は仕分けが遅すぎるのと、避難所以外の場所への配送ができず、被災者の皆さんに配れていない状況です。 わたくしたちみたいな、民間のボランティアをもっと使って届かない地域の皆様の役に立てられる組織作りを、国等はもっと考えるべきだと痛感しました。
大崎市の水道局から近隣の地域へ水を往復して運んだあと、南三陸町へ移動しました。
南三陸町までは、先導者(ボランティア)に案内していただいてます。 通行はできるのに、支援物資を運ぶ車が少ないように思います。 炊き出しされているお米は、支援物資ではないと思われます。水に濡れて発酵しかかった米で炊き出ししている為、とても口にすることができないくらいのものです。
お風呂を設置する場所を打ち合わせ中です。
発電機とポンプ及び燃料を持参したので、施設内のタンクに給水できました。 阪神大震災時の約1年あまりのボランティアの経験が生きました。
道だけが通れるようになっていて、がれきだけで何もありません。 避難所は、ある程度物資が届くようですが、給水に出掛けるところ(津波等から免れた場所)は、避難所に入れなかった被災して家がなくなってしまった方たちが沢山住んでいますが、物資が行き渡っていないのが現地に行って初めてわかりました。 自炊してボランティアと考えていましたので、食料品は多めに持って行きましたが、ほとんど配ってきました。
本日、23日より、もう一度ボランティアに出発でします。 現地の方からお礼の連絡を頂きましたが、もう少しお願いしたいとの要望があり、水をとにかく運んでほしいとのこと。 前回は準備不足等で、短い間の滞在でしたが、今回は、できるだけ長く居られるように、準備をしました。 又、先導などして下さったボランティア団体が今回受入れしてくれるそうで、効率よく、活動ができそうです。 少しでも、お役に立てれば・・・と、出発します。
今回の最初の訪問先は、宮城県七ケ浜町周辺です。 震災から2週間経ちますが、御覧の状況です。
七ケ浜国際村にてお風呂設置です。
トイレにはトイレットペーパーがありません。 ティッシュをゴミ袋で回収しています。
ここには震災から一度もお風呂に入っていない方(小学生)が300人以上いると聞き、お風呂の設置にきました。
4月3日より、ボランティアに行きます。 避難所の生活も大変ですが、被災した地元で自宅避難しながら復興を行っている方々に、もっと支援をしたいと思っております。 仮設のお風呂や、地元復興の為の機材(チェーンソー・発電機など)を、そろえられる限り持って行こうと思います。
仙台市のボランティアセンター「GANBARO↑MIYAGI宮城復興支援センター」に立ち寄り、仮設の風呂や、給水してほしい地区を尋ねたところ、ほぼ行き渡っている様子だと聞きどうしようか考えていたところ南三陸町の歌津字中山・馬場の方に出会い、急遽そちらに出向きました。途中、最初に訪れたとき通った場所で撮影しました。風景はほとんど変わっていません。
歌津中山です。中央は漁港で、きっときれいな海岸線だったと思いますが、今は大変なことになっています。 写真左の高台にある家も一階部分は津波でえぐられています。
やはり、大きい避難所ではなく、被災した地元で避難されている場所にはまだまだ、食料や水が不足しています。この写真は、現地で作った薪のお風呂です。被災してから一度もお風呂に入っていらっしゃらないみたいで、急遽作りました。しかし、これでは女性や子供、寒い日にはとても入ることができないので、他に仮設風呂を設置します。
脱衣所とお風呂が一体の仮設の風呂を福井県大野市の建築業者から譲り受け、設置してきました。増改築のときに仮設として使用するものです。 これで、寒い日も、お年寄りも、女性子供も安心してお風呂にはいれるかと思います。 又、醸造用の大きな水タンクも設置したので、水の心配も少しは良くなったと思います。 地元の方と一緒に仮設風呂の前で。
夜は大野から持参したホルモンをみんなで食べました。みなさんひと時の団欒に笑顔がありましたが、これからの事を思うと非常に考えさせられます。 これからは、本格的に復興に着手していかなければなりません。 今後も微力ながら応援していきたいと思います。 被災地のみなさんがんばりましょう。
前回訪問したところからお礼状を頂きました。 微力ながら、活動してよかったと文面を読み思います。 本当にありがとうございます。また、新聞にも掲載されました。 読売新聞2011.4.4掲載 河北新報2011.4.6掲載 宮城復興支援センターより 大崎市阿久津様より 大崎市旭山病院様より